2010年3月27日土曜日

戦時下の人権侵害に対する司法の責任を問い直せ([JCJふらっしゅ]2010/02/09 1723 号から転載)

▽戦時下の人権侵害に対する司法の責任を問い直せ

戦時下最大の言論弾圧事件、「横浜事件」。横浜地裁が元被告5人について、遺族に刑事補償を支払う決定を下した。5人の名誉は、事件から68年ぶりに回復された。

実質的な「無罪」判断である。

6日付の毎日新聞は社説で、この決定について:
「警察、検察及び裁判の各機関の関係者の故意・過失は重大である」として、司法自らの責任も厳しく指摘した。

遅すぎたとはいえ、自浄能力を発揮した判断だと評価しつつ、横浜事件は、戦前から続いた政府の言論統制がピークに達した時に起きた。決定は弾圧の実態を詳細に記し、本来それを救うべき司法が機能しなかった経緯にも触れている。

言論統制を再現させないためにも、なぜ事件が起きたのか検証は不可欠だ。歴史の清算の点からも意味のある決定ではないだろうか。とはいえ、最初の再審請求が行われてから24年である。

元被告は全員が亡くなっている。遅すぎた決定までの道のりを裁判所は改めて反省すべきだ。


とした。

朝日新聞も7日付の社説で:

治安維持法の下での言論弾圧がいかに過酷だったか、この事件は思い起こさせる。一方、戦後になっても冤罪の歴史は続いている。裁判官、検察官ら司法関係者は今回の決定をしっかり受け止め、意味をかみしめてほしい
と注文をつけている。

北海道新聞は6日付の社説で:
なぜ過去の裁判で無実や司法の責任にまで言及できなかったのかとの思いが先に立つ。 当時の捜査や司法の誤りを問わない免訴と、無罪判決とでは雲泥の差がある。裁判所が「国家の犯罪」というべき事実に目をつむってきたと言われてもやむを得まい。警察の見込み捜査や虚偽の自白強要、それを検察や裁判所が見抜けなかったのは戦時下に限らない。

足利事件や布川事件、富山氷見事件など最近も相次いで表面化している。裁判員裁判で今後は多くの国民が刑事裁判にかかわる。冤罪を生まないためには推定無罪の大原則と、正確な事実認定が何より求められる。
と提言。

西日本新聞も6日の社説のタイトルを、「横浜事件 『過ち』を歴史に刻みたい」として:
再審公判で事実認定に踏み込んでいれば、元被告たちは生きているうちに名誉回復ができたはずだ。それを思うと残念ではあるが、司法の「過去の過ち」に自らメスを入れ「負の遺産」を清算した今回の決定は、司法自らが「良心」を示したものとして記憶にとどめたい。

横浜事件は終戦前後の混乱期に起きた旧憲法下の言論弾圧事件ではある。しかし、虚偽の自白を強いて冤罪(えんざい)を生んだ事件は近年も繰り返されている。 今回の決定は、その意味で「横浜事件とは何だったか」を問うだけでなく、現代の捜査・司法への警鐘でもある。
と位置づけた。

琉球新報に7日付社説が:
戦後の長い再審請求の間に元被告は全員亡くなった。今回の地裁決定による名誉回復までに65年もの年月を要したのは、元被告を裁いた裁判所の後ろ向きな姿勢の結果だ。戦時下の人権侵害に対する司法の責任を問い直べきだ。
と厳しく指摘している。 同じ思いである。

社説:横浜事件 やっと司法が「清算」した(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20100206ddm005070113000c.html
横浜事件─やっと過去と向き合った(朝日新聞)
http://www.asahi.com/paper/editorial20100207.html#Edit2
横浜事件無罪 被告に聞かせたかった(北海道新聞日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/214168_all.html
横浜事件 「過ち」を歴史に刻みたい(西日本新聞)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/150953
横浜事件「冤罪」 司法の責任を問い直せ(琉球新報)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-157074-storytopic-11.html

 

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